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大晦日に響く鐘の音をきっかけに、除夜の鐘と煩悩の関係が気になり、108回鳴らす理由や本当の意味を確かめたくなる人は少なくありません。
除夜の鐘の意味と由来は年越しの風習として広く知られていますが、実際には、いつ・どこで鳴らされる行事なのかは寺院や地域によって違いがあります。
また、煩悩とは何かという仏教での本来の意味を知ると、現代でいう煩悩とはどんな感情なのかという、より身近な疑問にもつながっていきます。
なぜ108回鳴らされるのかについても諸説があり、六根や感情、時間で考える煩悩の数え方など、仏教的な整理によって説明されることが一般的です。
一方で、除夜の鐘は本当に煩悩を消してくれるのかと疑問に思う人もいるでしょう。
煩悩を身近な気持ちに例えて考える視点や、除夜の鐘は誰でもついていいのかという参加に関する疑問、宗派によって考え方は違うのかという違いの整理、さらに除夜の鐘をつく際のマナーとルールまで理解しておくと、年越しの時間をより納得感をもって迎えやすくなります。
【記事のポイント】
除夜の鐘と煩悩の基本的な意味と背景
108回とされる理由と代表的な数え方の考え方
参加できる条件や宗派差、現代の実施状況
体験時に困らないマナーや心構え
除夜の鐘の意味と由来
いつ・どこで鳴らされる行事なのか
煩悩とは何か?仏教での本来の意味
現代でいう「煩悩」とはどんな感情?
なぜ108回鳴らされるのか
六根・感情・時間で考える煩悩の数え方

除夜の鐘は、12月31日(大晦日)の夜から1月1日(元日)にかけて、寺院の梵鐘(ぼんしょう)を撞いて年の区切りを迎える年中行事です。
除夜とは大晦日の夜を指す言葉で、除には古いものを除いて新しいものへ移る、いわば「切り替え」を表す意味があります。
鐘の音を合図に一年を締めくくり、気持ちを整えて新年へ向かうという考え方が、この行事の根底にあります。
梵鐘(ぼんしょう)は寺院の鐘楼に吊るされた大型の釣鐘で、撞木(しゅもく)と呼ばれる丸太状の木で外側から撞いて鳴らします。
単なる音響装置ではなく、儀礼の時間を知らせたり、場の空気を引き締めたりする役割を担ってきました。
除夜の鐘が宗教行事でありながら、年越しの風物詩として広く親しまれているのは、この「区切りを告げる音」という性質が日常感覚とも結びつきやすいからです。
由来については複数の説がありますが、広く語られているのは中国の寺院習慣が日本に伝わったという見方です。
中国では月末の夜に一定回数鐘を撞く慣習があり、それがやがて大晦日の行事として定着したとされています。
日本では鎌倉時代以降、禅宗寺院を中心に取り入れられ、室町時代から江戸時代にかけて各地へ広まったと説明されることが多いです。
最初から全国で同じ形で行われていたわけではなく、時代の流れの中で「年越しの行い」として定着していった点が特徴です。
現在の除夜の鐘は、仏教儀礼としての側面を保ちながらも、民俗的な年越し文化としての意味合いが強くなっています。
煩悩を払うという説明がよく知られていますが、それだけでなく、鐘の音を聞いて一年を振り返り、新しい年へ気持ちを切り替えるという捉え方が、宗派や信仰の有無を越えて共有されてきました。
形や運営方法は変化しても、「一年を区切り、新年を迎えるために心を整える」という本質は今も受け継がれています。

除夜の鐘は、多くの場合、12月31日の深夜0時を挟む時間帯に行われます。
一般的には23時台から撞き始め、年越しの瞬間をまたいで続ける流れがよく見られますが、開始時刻や進行方法は寺院によってさまざまです。
年をまたいで撞く寺院もあれば、年明け0時から撞き始める寺院もあり、必ずしも全国共通のルールがあるわけではありません。
行われる場所は全国の寺院ですが、すべての寺院が実施するわけではありません。
近隣住民への配慮、役僧や檀家の高齢化、夜間の安全確保、警備や混雑対策といった事情から、中止や時間変更を選択するケースもあります。
特に都市部では住宅が密集しているため、騒音への懸念や参拝者の導線確保が課題になりやすい傾向があります。
こうした背景から、近年は深夜ではなく夕方に行う例も増えています。
夕方に行われる除夜の鐘は、一般に除夕の鐘と呼ばれることがあり、子ども連れや高齢者でも参加しやすく、安全面や騒音面への配慮がしやすいという利点があります。
時間帯は18時から20時頃に設定されることが多いものの、これも寺院ごとに異なります。
実際に現地で参加を考える場合は、事前の確認が欠かせません。
開始時刻や終了の目安、一般参拝者が鐘を撞けるかどうか、参加方法(先着順、整理券配布、人数制限など)、志納金の有無と金額の目安、撮影に関するルールなどは寺院ごとに違います。
年末が近づいた段階で公式案内を確認しておくと、当日の戸惑いを避けやすくなります。
また、除夜の鐘の説明では、12か月・二十四節気・七十二候といった暦の考え方が背景として触れられることがあります。
これらは季節の移ろいを細かく捉え、暮らしに生かしてきた日本の伝統的な暦の仕組みです。(出典:国立天文台 暦計算室 https://eco.mtk.nao.ac.jp/koyomi/)
こうした暦の区切りと年越し行事が結びつくことで、除夜の鐘は単なる音ではなく、時間の節目を意識させる存在として受け止められてきました。
深夜に行われる場合は、寒さや足元の暗さにも注意が必要です。防寒対策や歩きやすい靴を準備し、無理のない行動計画を立てることで、安心して年越しの行事に向き合いやすくなります。

煩悩という言葉は、日常会話では欲や執着といった意味合いで使われることが多いものの、仏教においてはより広く、深い概念として位置づけられています。
仏教でいう煩悩とは、人の心身を悩ませ、乱し、物事をありのままに見る智慧を妨げる心のはたらき全般を指します。
単に「欲張りな気持ち」だけではなく、心が揺れ動き、苦しみを生み出す原因となる心理作用そのものが煩悩に含まれます。
仏教の教えでは、人は外側の環境が満たされても、必ずしも心の安らぎを得られるとは限らないと考えられています。
欲しいものを手に入れた瞬間は満足感を覚えても、その状態が長く続くとは限りません。
やがて次の不足に気づいたり、失うことへの不安が生まれたり、さらに多くを求める焦りが湧いてくることがあります。
得られない苦しみだけでなく、得たあとに生じる執着や恐れもまた、煩悩がもたらす苦しみの一部と捉えられます。
このように、煩悩は単純に善悪で切り分けられるものではなく、人の心を不安定にしやすい要因として理解されます。
仏教では、煩悩そのものを力ずくで排除するというより、煩悩がどのように生じ、どのように心を縛るのかを見極めることが重視されてきました。
除夜の鐘が煩悩と結び付けて語られる背景には、年末年始という節目に、自分の心の状態を振り返り、乱れを自覚したうえで新しい年へ向かうという姿勢が重なっていると考えられます。

現代で煩悩と聞くと、多くの人が物欲や食欲、名誉欲、性欲といった分かりやすい欲求を思い浮かべがちです。
しかし、実際の生活の中で人を悩ませる煩悩は、それだけにとどまりません。他人と自分を比べて落ち込む気持ち、うらやましさや嫉妬、先の見えない不安、思い通りにならないことへの怒り、過去の出来事を引きずる後悔なども、心を揺らしやすいという点で煩悩的な側面を持っています。
仏教では、代表的な煩悩として三毒と呼ばれる分類が知られています。
三毒とは、貪欲(とんよく)・瞋恚(しんに)・愚痴(ぐち)の三つです。貪欲は際限なく求め続ける心、瞋恚は思い通りにならないときに湧く怒りや憎しみ、愚痴は妬みや恨み、ねたむ気持ちを含む心の状態と説明されます。
これらは特別な人だけが抱くものではなく、誰の心にも自然に生じ得る感情です。
ただし、これらが強くなり過ぎると、冷静な判断ができなくなったり、人間関係にひずみが生じたりする原因になりやすい点が特徴です。
現代社会では、情報量の多さや比較の機会の増加により、欲や不安が刺激されやすい環境にあります。
SNSやニュースを通じて他人の成功や生活が目に入りやすくなることで、必要以上に自分を評価してしまうことも少なくありません。
こうした状況を踏まえると、煩悩を完全になくそうとするよりも、煩悩が湧いてくるものとして理解し、必要以上に振り回されないようにする姿勢のほうが現実的だと考えられます。
仏教が示してきた煩悩観は、感情を否定することではなく、感情の動きを自覚し、適切な距離を保つための視点を与えてくれます。
現代において煩悩を考えることは、自分の心のクセや揺れやすさを知り、より穏やかな判断や行動につなげるための手がかりになると言えるでしょう。

除夜の鐘が108回とされる理由は、人の心にある煩悩の数が108と考えられてきたことと深く結び付いています。
大晦日の夜に鐘を撞くことで、一つひとつの煩悩を手放し、新しい年を迎える準備をするという象徴的な意味合いが広く知られています。
ただし、108という数値については、仏教の経典で明確に「煩悩は108ある」と断定されているわけではなく、後世に整理されたいくつかの考え方が背景にあります。
実際、108の由来には複数の説があり、どれか一つだけが唯一の正解とされているわけではありません。
仏教の教えを分かりやすく説明する過程で、心のはたらきや感覚、時間の捉え方を組み合わせて整理した結果として「108」という数が示されてきたと理解すると、過度に厳密な数合わせとして捉えずに済みます。
つまり、108回という回数は、煩悩の多様さや多さを象徴的に表す数字として受け止められてきた側面が大きいと言えるでしょう。
また、実際の除夜の鐘の運営では、必ずしも108回に厳密に合わせない寺院も存在します。
一般参拝者が鐘を撞ける寺院では、希望者全員が参加できるよう配慮した結果、108回を超えることもあります。
一方で、地域事情や安全面への配慮から、時間帯を変更したり、鐘を撞かない年を設けたりする寺院もあります。
こうした違いは、教義の優劣ではなく、現代社会の環境に応じた対応と考えると理解しやすくなります。
108回という回数が全国的に強く意識されるようになった背景として、近代以降のメディアの影響も指摘されています。
とくにラジオ放送が普及した時代、年越しの番組で除夜の鐘が中継されるようになり、「大晦日の夜に108回の鐘が鳴る」というイメージが全国に共有されました。
その結果、地域差がありながらも、年越しの象徴として108回という数字が定着していったと説明されることがあります。
回数の意味だけでなく、その広まり方を知ることで、現在の除夜の鐘の姿をより立体的に捉えられるようになります。
108の算出方法として、
最もよく紹介されるのが六根を起点にした考え方です。
六根とは、眼・耳・鼻・舌・身・意という、人が外界を認識する六つの感覚や意識のはたらきを指します。
仏教では、これらの感覚が対象に触れることで、心の動きや迷いが生じると考えられてきました。
この六根に対して、人が対象をどのように受け取るかという感情の分類や、状態の清らかさ、さらに時間の軸を掛け合わせることで、煩悩の多様なあり方を整理します。
以下は、その代表的な整理方法です。
| 分類 | 内容 | 数 |
| 六根 | 眼・耳・鼻・舌・身・意 | 6 |
| 感情 | 好・悪・平 | 3 |
| 状態 | 浄・染 | 2 |
| 時間 | 過去・現在・未来 | 3 |
| 合計 | 6×3×2×3 | 108 |
この考え方では、同じ感覚であっても、快と感じるか、不快と感じるか、どちらでもないと感じるかで心の反応は異なります。
また、その反応が清らかな心から生じるか、執着や汚れた心から生じるかによっても性質が変わります。
さらに、過去の出来事への執着、現在の状況への反応、未来への不安や期待といった時間軸を重ねることで、心の迷いがいかに多様であるかを示しています。
六根の説以外にも、108の由来として語られる考え方があります。
これらを併せて知っておくと、「なぜ108なのか」という疑問を一面的に捉えずに済みます。
| 説の種類 | 概要 | 108になる考え方 |
| 四苦八苦説 | 人生の苦しみを四苦と八苦に分けて整理 | 4×9+8×9 |
| 暦の合計説 | 一年の区切りを暦の要素で合算 | 12+24+72 |
| 十纏・九十八結説 | 悪心と欲望を分類して合算 | 10+98 |
| 象徴数説 | 108は非常に多いことを示す象徴 | 数そのものを重視しない |
六根を基にした数え方は、計算として分かりやすく、教育や解説の場でも紹介されやすい方法です。
一方で、他の説を併せて示すことで、108という数字が単なる暗記対象ではなく、さまざまな視点から人の心を整理しようとしてきた結果であることが伝わります。
こうした背景を踏まえると、除夜の鐘が108回鳴らされる理由は、数字そのものよりも「心の迷いの多様さを意識し、年の区切りとして見つめ直す」という意味合いに重きが置かれてきたと理解しやすくなるでしょう。
煩悩を身近な気持ちに例えると?
除夜の鐘は誰でもついていいの?
宗派によって考え方は違う?
除夜の鐘をつく際のマナーとルール
除夜の鐘と煩悩を正しく理解するまとめ

煩悩という言葉に対して、難解で宗教的な印象を抱く人は少なくありません。
しかし、煩悩を理解するうえで本当に役立つのは、専門用語を暗記することではなく、日常の感情や心の動きを振り返ることです。
仏教で語られてきた煩悩の多くは、現代人の生活の中にもごく自然な形で現れています。
たとえば、次のような心の動きは、多くの人が一度は経験したことがあるはずです。
欲しいものがあるのに手に入らず、落ち着かない
思い通りにいかず、イライラが増してしまう
他人の成功を見て、うらやましくなったり焦ったりする
過去の出来事を思い出して、後悔や自己否定が続く
これらの感情は、「持ってはいけない悪い心」というより、人が社会の中で生きるうえで自然に生じる反応だと捉えられます。
ただし、その反応が長く続いたり、必要以上に強くなったりすると、物事の見方が極端になったり、人との関係がぎくしゃくしたり、自分自身を追い詰めてしまう原因になりやすくなります。
仏教で煩悩が問題視されてきたのは、感情そのものよりも、感情に引きずられて苦しみが増幅していく点に目が向けられているからです。
年末年始は、仕事や学校が一段落し、生活のリズムが変わりやすい時期です。
その分、今年一年を振り返ったり、来年への不安や期待を思い浮かべたりする機会も増えます。
除夜の鐘の音をきっかけに、自分の心がどんなことで揺れてきたのかを静かに見つめ直す行為は、煩悩を完全に消し去るための儀式というより、心の向きを整えるための習慣として理解すると、現代の感覚にもなじみやすくなります。
子どもに煩悩を説明する際は、仏教用語をそのまま使う必要はありません。
欲ばりな気持ち、イライラする気持ち、うらやましい気持ちなど、日常の中で感じたことのある例を挙げて、「心がざわざわする気持ち」と表現すると伝わりやすくなります。
年齢が上がってきたら、鐘が一回鳴るごとに気持ちが少しずつ落ち着いていく、嫌な気分が軽くなっていく、といったイメージで説明する方法もあります。
除夜の鐘を通じて、感情を否定するのではなく、気持ちの整理や切り替えを学ぶ機会として捉えることが、無理のない伝え方につながります。

除夜の鐘を実際に撞けるかどうかは、寺院ごとの方針によって大きく異なります。
一般参拝者の参加を広く受け付けている寺院もあれば、僧侶や関係者のみで静かに執り行う寺院もあります。
参加できる場合でも、運営方法は一律ではなく、人数制限や整理券の配布、先着順や抽選制、志納金の有無など、さまざまな形が取られています。
特に参拝者が多く集まる寺院では、安全確保が重要な課題になります。
鐘楼周辺に入れる人数を制限したり、参拝の動線を細かく決めたりするケースも少なくありません。
長時間列に並ぶことも想定されるため、体調や防寒対策を含めて無理のない計画を立てることが大切です。
実際に参加を検討する場合は、事前に情報を確認しておくことで当日の戸惑いを減らせます。とくに次のような点は、あらかじめ把握しておくと安心です。
開始時刻と最終受付の有無
参加方法が先着順か整理券制か
志納金が必要か、目安となる金額があるか
写真撮影の可否や子ども連れでの注意点
これらを確認しておけば、現地で慌てることなく、落ち着いた気持ちで行事に向き合いやすくなります。
除夜の鐘は、鐘を撞くこと自体よりも、その場の空気や時間の流れを大切にする行事です。
参加の可否に関わらず、寺院の方針や周囲への配慮を尊重しながら過ごすことが、年越しの体験をより穏やかなものにしてくれるでしょう。

除夜の鐘は年末の風物詩として広く知られていますが、その位置付けや意味合いは、すべての仏教宗派で同じというわけではありません。
歴史的には、除夜の鐘は禅宗寺院の行事として語られることが多く、そこから年末年始の年中行事として全国に広がっていったと説明されることが一般的です。
禅宗では、日常の修行の中で鐘の音が重要な役割を果たしてきた背景があり、年の区切りに鐘を撞くことも自然な流れとして受け入れられてきました。
一方で、すべての宗派が「煩悩を払うために鐘を撞く」という考え方を重視しているわけではありません。
代表的な例として知られているのが浄土真宗です。浄土真宗では、人は煩悩を抱えたままでも阿弥陀仏のはたらきによって救われるとする教えが中心にあります。
そのため、「煩悩を自らの行いで払う」という発想を前面に出さず、本山では除夜の鐘を行わない場合があることが知られています。
ただし、同じ浄土真宗であっても、すべての寺院が除夜の鐘を行わないわけではありません。
地域との関わりや檀家の意向、寺院ごとの判断によって実施しているケースも見られます。
このように、宗派名だけで一律に「行う」「行わない」と決められるものではなく、実際の運用には幅がある点を理解しておくことが大切です。
こうした違いは、どちらが正しい、どちらが間違っているという問題ではなく、教えの重点の置き方の違いとして捉えると混乱しにくくなります。
除夜の鐘が行われる場に参加する場合でも、「煩悩を消し去るための行為」と限定的に考える必要はありません。
一年の終わりに気持ちを整え、新しい年を迎える時間として受け止めることで、宗派の違いがあっても自然に理解しやすくなります。

除夜の鐘は年末の恒例行事として親しまれていますが、寺院にとってはあくまで宗教行事の一環です。
そのため、参拝者としての基本的な礼節を意識しながら参加することが求められます。
多くの寺院で案内されている基本の作法は、鐘を撞く前に合掌し一礼、撞いたあとに再び合掌し一礼をするという流れです。
撞木は勢いよく振り回すものではなく、静かに引いて一撞きするのが基本とされています。
服装については、華美さよりも落ち着きを意識することが大切です。
深夜の境内は想像以上に冷え込み、照明が十分でない場所や滑りやすい場所もあります。
防寒性の高い上着や手袋、マフラーを用意し、足元は歩きやすく安定した靴を選ぶと安心です。
安全面への配慮は、マナーの一部と考えるとよいでしょう。
多くの人が集まる寺院では、列に並んで順番を待つ時間が長くなることもあります。
その際は、大声での会話や騒ぎ立てる行為、割り込みや場所取りなどは控え、厳かな雰囲気を尊重する姿勢が求められます。
携帯電話の通話や音の出る操作も、周囲の迷惑にならないよう注意が必要です。
写真撮影については、寺院ごとに明確なルールが設けられている場合があります。
撮影自体が禁止されていることもあれば、フラッシュや三脚、自撮り棒の使用が制限されているケースもあります。
現地の掲示や係の案内に従うことが前提となり、他の参拝者や僧侶の妨げにならない配慮が欠かせません。
志納金が必要な寺院では、受付方法や金額の目安が案内されていることが多いです。
金額が決まっていない場合でも、無理のない範囲で気持ちとして納める形が一般的とされています。
事前に小銭を用意しておくと、受付が混雑している場合でもスムーズに対応しやすくなります。
これらのマナーやルールを意識することで、除夜の鐘は単なる年末イベントではなく、静かに一年を締めくくるための大切な時間として過ごしやすくなります。
周囲への配慮と敬意を忘れずに参加することが、行事そのものの意味をより深く感じることにつながるでしょう。
除夜の鐘は年末年始に寺院で梵鐘を撞き一年を締めくくる伝統行事
除夜とは大晦日の夜を指し一年の終わりを意味する言葉として使われる
除という言葉には古いものを除き新しい年へ移る意味が込められている
除夜の鐘の由来は中国の寺院習慣が日本に伝わった説が広く知られている
日本では鎌倉時代以降に禅宗を中心として各地へ広まっていったとされる
除夜の鐘の開始時刻は23時台や年明け0時など寺院ごとに違いがある
深夜を避け夕方に行う除夕の鐘など時間帯を変える動きも近年増えている
煩悩とは悟りを妨げ人の心身を悩ませ乱す心のはたらき全般を指す概念
現代でいう煩悩は物欲だけでなく怒りや妬み不安など感情面も含まれる
108回の由来には六根説など複数の考え方があり一つに断定されていない
六根説では感覚感情状態時間を掛け合わせ108と整理され理解しやすい
四苦八苦説や暦の合計説など別の切り口の説明も併せて語られている
参拝者が鐘を撞けるかどうかは寺院の方針や混雑対策によって異なる
宗派や寺院ごとに位置付けが異なり除夜の鐘を行わない本山も存在する
参加する際は静かに並び合掌や一礼など基本的な作法と配慮を守ることが大切
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